学校法人 函館龍谷学園

認定こども園 龍谷幼稚園 -りゅうこくようちえん-

子どもが小さいのは今だけ

園長先生のひとりごと

頼る・甘えるの違い

8月21日(水)

前回の投稿から1か月以上が経っていました。
あっという間に夏休みも終わりましたが、今年の夏も暑い日が続き、元気な子どもたちを後目に、私は少しバテ気味でした・・・
さて、いよいよ2学期が始まり、園内が賑やかな声で満たされています。
始業式での子どもたちの笑顔を見て、幼稚園が始まるのを楽しみにしてくれていたのが、よくわかりました。
2学期も、子どもたちと楽しく活動していきたいと思っています。

当園では、自分で出来ることは自分でしましょう、と子どもたちに伝えています。
でも、困っている時や、自分で出来ない時は先生に言ってねとも伝えますし、なるべく自分で出来るように援助もします。
もちろん「最初から甘えない・やる努力はする」が前提ですが。
この前提はとても重要です。
「自分で出来ないことをしてもらう(頼る)」と「自分で出来ることをしてもらう(甘え)」では、意味合いが全く違うからです。
近年、子ども本人が自分で出来るかどうかも気付けないほど、保護者が身の回りの全てをお世話している場面を見かけます。
子どもは時間をかければ自分で出来るのに、それを待つことが出来ない大人の勝手さも、そこには見え隠れしています。
例を挙げると、登園時さっさと靴を脱がせて靴箱に片付けたり、自分の持ち物を持たせなかったり。
「手伝った方が楽」だから、してしまう大人の行動だと思います。
そして、子どもがある程度の年齢になったら、今までさせてこなかったのに「自分で靴を履きなさい!」「荷物を持ちなさい!」と、言いそうな気もします・・・
出勤前であったり、帰宅して夕飯の準備がある場合など、早くしなければならないのは、十分に理解しているつもりです。
ただ、子どもへの手助けが必要な場面を見極め、自立しようとする子どもたちを、家庭と園の双方で見守っていきたいと考えています。

三つ子の魂百まで

7月12日(金)

「幼いころに形成された性格は年齢を重ねても変わらない」というような意味です。
三つ子とは3歳までという意味合いのようですが、私の立場からすると3歳というより幼児期の区切りである6歳までと感じます。
年長児(6歳)までに形成された人格が、大人になっても人格の土台になるという感覚です。
例えば「そんなの無理だよ」「なんでわからないの」「本当に悪い子だね」「どんくさい」「恥ずかしがり屋だから」と言われ続けている子は、自分がそのような人間だと思い込みます。
「できる・できない・夢はかなう・かなわない」というような気持ちは、幼児期に周りの大人に言われてきた言葉が根拠になって作られる「思い込み」です。
マイナス要素がある大人の発言によって、本当はできるのに自分にはできないんだと思い込んでしまうこともあるのです。
園での活動中に、悪い言葉を使って友だちを傷つけたり、思い通りにならないと叩くなどの行為をする園児がいます。
これは、保護者や兄姉から言われる・されていることをそのまましているな、と私は思っています。
子どもは黙っていても、周りの環境でいつか悪い言葉を覚えていくものですし、子どものうちに通る道でもあります。
ならばせめて、人間形成に大きな影響があるとされている6歳までは、ポジティブな言葉や環境で過ごせるようにしたいと思いませんか?
ネガティブな言葉で影響を与えるよりも、「ありがとう」「応援してるよ」「大好き」「がんばってるね」「きっとできるよ」などのポジティブな言葉がけで「良い思い込み」を作りましょう。
良い思い込みは、自己肯定感にプラスな影響を与えます。
身体も大切ですが「心が元気である子ども」を育てたいですね。

それぞれの感覚

6月18日(火)

出勤時間が8時なら、何時に職場へ行きますか?
8時出勤なので8時に職場へ着くように行く人もいるかもしれません。
私は8時から仕事が始められるように、どんなに遅くても5分前には職場へ着くようにします。
もうひとつ
「明日、少し早く出勤してください」と言われたら、何分前に出勤しますか?
①5分でも少し早い
②30分でも少し早い
私は②を選択しますが、時間の感覚はそれぞれ違いますね。
30分くらい早く出勤してほしいと思えば、感覚が違うと思う相手には「少し早く」ではなく「明日は30分早く出勤してください」と伝えれば、モヤモヤせずに済みます。
これは良い悪いの問題ではなく、感覚や価値観はそれぞれ違って、差があることを知っておくことが大切なのかなと思います。
子どもへの対応も、伝えた内容をクラス全員が同じように感じるわけではないので、個々に感覚が違うことを知り、その子に合った対応や寄り添い方を考えます。
当園でクラス全員が同じ制作をしたり、絵画の時間を設けることをしない理由は、こういうところにあります。
「みんなちがって みんないい」